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先週の、もうすっかり暗く、冷えるようになった早朝。


私は、朝のヨガを終え(ついにmyヨガマットを買ったのです!)、寒くなったな~そろそろ大好き灯油ストーブを出しとくかと思い、いそいそと冬じたくを始めました。

ストーブの右部分には灯油缶が入っていて重く、比して左部分は軽かった。

それを、部屋の角にほどよくレイアウトしようと思い、持ち上げました。


そのときでした。


左の腰に、痛恨の一撃が入ったのは・・・

(あとでwikiってみたのだけど、ギックリ腰って、西洋では魔女の一撃というんですってね)


私はあまりの痛みに声も出ず、しばらく固まったのち、とりあえずその場に転がりました。

転がったはいいものの、起き上がれない。

イモムシのようにごろごろしながらなんとか起き上がると、痛みを避けるまま立ったり中腰になったりすがるように手を伸ばしたり、身体表現のようなものが続いたのち

なんとか立つことと寝転ぶことはできるけど、座ることができないということが分かりました。


仕方ない、今日一日は立つか寝るかするしかない・・・

とりあえず暖かくしようと匍匐前進、おふとんに辿り着き、成仏したように転がっていました。


痛い。


もがかないと起き上がれないので、おふとんの敷布団や掛布団、コタツの敷布団など、私の寝ころんだあとはすべからくヨレヨレになり、ナメクジが這ったあとのように軌跡が残りました。


その日いちにちはそんな感じでしたので、キネシもできませんでしたが、翌日はほんの少しだけ痛みがましになったので、夫に、ワラにもすがる思いでキネシの調整を頼みました。


だってさあ。

急に気温が下がって、身体が冷えて、筋肉が固くなってるわけでしょ。

で、また特に身体の固い早朝でしょ。

で、右部分と左部分で比重の異なる、それなりに重いものを持ったわけでしょ。

これって物理的・構造的なものに思えるし、キネシですぐに治りそうにもないんだもの。

今回はキネシもワラ感が否めないですよ。


ところがです。

夫は意外なものを引き出しました。

「仕事、それに関係してる人、その人の感情、嫉妬」

????

まああるとは思うけど、それと腰?

「え~」と思いながらポキポキと筋反射をとられ、14筋調整が終わりました。

なんだかよく分からないけどまあいいや、ありがとう~と、キッチンに戻りました。


そのときでした。


へ。痛くない。


ん?シンク下の包丁がとれる。そして身体を起こせる。

へ・・・?


「ほぼ痛くない!!っていうか痛くない!!」

「おお?え、そうなの?」

「ええーーーーー!!!!!

うそ、どうやったの、ナニコレ、えーーー!!!!

だって、腰、冷え、筋肉、重いもの、え、仕事関係の人、嫉妬、ってなにそれ、えーーーー!!!!」


まだほんの少しの固さはあるものの、腰痛が治ってしまったのです。

私は初めてキネシを受けたときのように騒ぎ、なんだか初心を取り戻してしまいました。


そんな出来事があり

キネシに感謝(?)をこめて

来月、for腰痛解消キネシ体験会&練習会をします。


現在腰痛で辛い方

なんだかよく分からない世界を、楽しめるかもしれません。


<for腰痛!キネシ体験会&練習会のご案内>

体験会&練習会のあと、13:00~14:00にフェイシャルキネシのセッション枠を設けていますので、ご希望の方はお気軽にお声かけ下さい。

1 日程

  2019年11月23日(土) 11:00~12:30

2 場所

  横浜市神奈川区

  JR東神奈川駅または京急本線仲木戸駅 徒歩3分

  詳細はお申し込み後ご案内します。

3 参加費

 ・練習される方・・・¥1,500(税込)

 ・体験される方・・・¥2,000(税込)

4 定員

  4名

5 内容

 ・カフェキネシシリーズ(カフェキネシ、チャクラキネシ、TAO五徳)

 ・14筋調整

  などの、体験会兼練習会です。

  体験の方は、参加メンバーからキネシオロジーを体験できます。

6 お申し込み方法

 11/16(土)までに、大福庵 島崎 daifukukinesi@gmail.com あてご連絡ください。


<フェイシャルキネシ・セッション>

1 日程

  同日、体験会&練習会のあと 13:00~14:00

2 料金

  1時間 ¥6,600(税込)

3 内容

  寝ているだけで、リラックス!

  顔や頭に流れている経絡をたどるキネシオロジーです。

  フェイシャルエステにも似ていますが、経絡を辿ることにより、感情が解放され、

  身体の巡りがよくなります。

  まず、目や頭の疲れがとれます。

  ホルモンバランスや自律神経もととのい、お顔が柔らかくお肌もツヤツヤに。

  熟睡にも効果大です。

  みなさん、フェイシャルキネシの最中によく眠られます。

  お疲れのとき、心身ともにお休みしたいときに

  大切な予定、デートやお出かけの前に!美しくなりますから。

 ※ お化粧をしたままで受けていただけます。

4 お申し込み方法

 11/16(土)までに、大福庵 島崎 daifukukinesi@gmail.com あてご連絡ください。

今回の台風

今住んでいるところは、雨風がさほど強くなかったので、無事に越すことができました。


恐かったり、すぐ対応できるようになっていたり

ホルモンバランスも大幅に乱れていたような感じがします。


特に今回は、何日も前から報道が流されていたので

買い物をしとかなくちゃとか、窓は大丈夫かとか、気が張る時間が長かったです。


台風が通り過ぎたのは、ちょうど就寝時間くらいでした。

緊張と疲れをとろうということで、お灸をしました。

お灸は夜寝る前にすると、身体が温まるし、心地よくなるので、お気に入りです。


お灸ポイントを筋反射で選ぶと、

ふたりとも胆経の足臨泣が選ばれたことにはびっくりしました。

薬指から足の甲に続く骨の根元と、同じく小指から足の甲に続く骨の根元

その間です。

ふだんは、あまり選ばれないのですよ。


頭が張りつめて痛かったのかもしれないし

今思うと、

昨日の朝は、蒸した空気にぎらつくような青空、日射し

今日は、冬の始まりのような空気にキンモクセイの香り

蹂躙されるようなことが、少し、悔しかったのかもしれません。


もくもくしながら、張りつめていたものが、ゆるゆると解けていくようでした。

10月キネシオロジー体験会&練習会のご案内です。

体験会&練習会のあと、15:00~16:00にフェイシャルキネシのセッション枠を設けていますので、ご希望の方はお気軽にお声かけ下さい。


<10月キネシオロジー体験会&練習会>

1 日程

  2019年10月26日(土) 13:00~14:30

2 場所

  横浜市神奈川区

  JR東神奈川駅または京急本線仲木戸駅 徒歩3分

  詳細はお申し込み後ご案内します。

3 参加費

 ・練習される方・・・¥1,500(税込)

 ・体験される方・・・¥2,000(税込)

4 定員

  4名

5 内容

 ・カフェキネシシリーズ(カフェキネシ、チャクラキネシ、TAO五徳)

 ・14筋調整

  などの、体験会兼練習会です。

  体験の方は、参加メンバーからキネシオロジーを体験できます。

6 お申し込み方法

 10/22(火)までに、大福庵 島崎 daifukukinesi@gmail.com あてご連絡ください。


<フェイシャルキネシ・セッション>

1 日程

  同日、体験会&練習会のあと 15:00~16:00

2 料金

  1時間 ¥6,600(税込)

3 内容

  寝ているだけで、リラックス!

  顔や頭に流れている経絡をたどるキネシオロジーです。

  フェイシャルエステにも似ていますが、経絡を辿ることにより、感情が解放され、

  身体の巡りがよくなります。

  まず、目や頭の疲れがとれます。

  ホルモンバランスや自律神経もととのい、お顔が柔らかくお肌もツヤツヤに。

  熟睡にも効果大です。

  みなさん、フェイシャルキネシの最中によく眠られます。

  お疲れのとき、心身ともにお休みしたいときに

  大切な予定、デートやお出かけの前に!美しくなりますから。

   ※ お化粧をしたままで受けていただけます。

4 お申し込み方法

 10/22(火)までに、大福庵 島崎 daifukukinesi@gmail.com あてご連絡ください。

長年、自分がしたいことというのを考えてきたけれど

最近、考えがひとつシフトしたようだ。


きっかけは、上橋菜穂子さんの物語、精霊の守り人シリーズをじっくり読んで、

「生きているということは、まだいのちに生かされていることだ」という新しい視点が生まれたことだった。


まだ生かされているということが、すなわち「ここにいていい」ことだと、腑に落ちた。


何かしないとここにいてはいけないという恐れのもとで、探してしまったときは

どれもしたいことではなかった気がする。

というか、したいを感じるどころではなく、恐怖と居心地の悪さと闘うことしかしていなかった気がする。


「まだ生きているってこたぁ、ここにいていいんだ。じゃあ何しよっかなー」ということで

初めて自由に選べる気がした。


大きな気づきは、キネシだけじゃなくて、キネシののちなぜか物語というワンクッションをはさんで降りてくるっていうのが、私の十八番のようだ。


沖縄の美紀先生のブログで、映画から引用されていた「自分が何者か考えるのではない。知るんだ」という言葉が心に残っていて

知るということは、体験することなのだとわかった。


考えるのであれば、一年でも何年でも、堂々めぐりに考えられる。


でも体感してしまうと、わりとすぐに心地よい・悪いを感じて、ああ、自分てこういうの好きなのね/ダメなのねって、自分を知ってしまう。


だから、とりあえず体験することにお金を使ったとして、その体験が自分にとってnot goodだったとして、でもそこで使ったお金は、(これは心地よくないと感じる)自分を知ることに使った、といえるのカモ。


今は、エネルギーバランスをとって生きたいなあと感じてる。


働いた分だけ休んで

動いた分だけ食べて

稼いだ分だけ使って

感じた分だけ表現したい


入れた分だけ出したい。

呼吸したい。


これが循環っていうこと


出したいって感じることを、大切にしたいと思う。

バリ島のウブドに旅をした。


海外を旅すると、知らないうちに凝り固まっている価値観が壊れて快い。


地面をアリが歩いていて、その横を捕食関係にない別の虫が歩いているのを眺めていると、アリからしたら、すぐ横を自分とはまったく違う身体の、しかも大きい生き物がとことこ歩いているって、どんな気分なんだろうと思うけれど


なんとなく、海外旅行は、それと似ている。

自分が歩いていて、その周りを、それぞれの目的をもった肌も髪も身体の大きさも違う人たちが、ただ歩いている。

仕事や恋愛、日ごろ人間関係で味わうような捕食関係(!)はなく、ただそれぞれがそこに在る感じがする。


ウブドでは、アジア人の観光客は少なくて、ホテルや街を歩くほとんどは欧米人だった。

たまにリゾートっぽい服を着ている人はいるけれど、だいたいはタンクトップに短パン。

木々に埋もれたホテルで、そばかすや入れ墨だってのびのびと太陽にさらして、プールサイドでごろごろしている。

”そうだよなあ、私だって全部さらして、のびのびごろごろ・・・”


朝食のとき、欧米人同士の会話が聞こえてくる。

「(バリに来たのは)shopping or relaxing?」

何かをしにでも、学びにでもなく、なーんにもしない。

”そうだよなあ、リラックスしに来るって、なんにもしないこと・・・”


隠さなければならないという価値観や、何かをしなくてはいけないという価値観が、びっくりしている。


帰国の日は、ホテルから空港までの送迎を頼んでいたものの、待ち合わせの時間に運転手さんは来ず、ロビーの人が連絡をとると、なんと運転手さんは寝坊していた。

ロビーの人も、運転手さんも、しきりに ”I'm sorry" と言って謝っていたけれど

私自身は、余裕をもって時間をとっていたし、こんなのんびりした空気の中にいると、心配することもできなかった。

これがヨーロッパやアメリカだったら、(経験上だけど)たぶんそんなに謝られることはないだろうと思う。

だから、遅れたのが悪いとか、謝らなければいけないとか、そんなのもきっと価値観の一つにすぎない。


だけど

ごめんなさいということや、空港に着いたときに運転手さんがまた謝りながら、頭に手をやって照れながら"I'm sorry. I was so sleepy"と言った姿は、やっぱりとても人間らしくて好ましかった。

けっこうなスピードで対向車線にはみ出して追い抜くのが当たり前の交通事情で、無事に空港に着けたことは奇跡だ。

チップを払うと、運転手さんは遠慮した。

それでも差し出すと、にっこり笑ってありがとうと言った。


少しの間でも、お出かけして、そのたびにホテルに帰ると

そのホテルも土地も、どこかおうちになってゆく気がする。


みんな自然に、ここに在ることをゆるされている。

生きたいと思っても、いのちがもう私を生かさなければ、私は死んでしまうし

死にたいと思っても、いのちがまだ私を生かしていれば、私は生きる


物語の主人公たちは、幼いころから命を狙われ続け、

必死に生き延びながらも、死ぬよりも辛い人生がゆえ、いつも「死んでもかまわない」と思っている

それなのに、いのちにまだ生かされている人たちだった。


彼女たちは、これまでの生涯をかけての、怒りをもっていた。

その怒りは、命を消されること、すなわち存在を否定されることへの怒りだった。

同時に、

「なぜ私なのだ」

「私は何もしていないのに、なぜ存在を否定されなければならないんだ」

という怒りだった。

人間の世界では、理不尽というのかもしれない。


私も

家族に対して膨大な怒りを抱えていた。

支配したり、八つ当たりをすること

幼いころ「あんたらがいるせいで、私は何も好きなことができなかった」と言うことも

私という存在を否定したり

私という命を脅かしていることだった。


私は

「なぜ私は何もしていないのに、存在を否定されなければならないのか」

「そんなことをする人間は、消えてしまえばいい」

と思ったし

その膨大な怒りと恨みはなかなか消えず、今までも持ち合わせてきた。


なのに

物語を読みながら、不思議な感覚にとらわれてしまった。


”いのちにそもそも理はないのかもしれない”


大きな魚が、小さな魚を食べる

そのとき、大きな魚は小さな魚の命を奪ったわけだけど

ヨソの命を奪うなんてそんな罪魚は生きていてはいけません、といって罰する存在などない。


小さな魚を食べたあともすいすいと泳いでいれば

いのちはまだその大きな魚を生かしている。

そのあと、漁師の網にかかって〆られてしまえば

いのちはもうその大きな魚を生かしていない。


私が魚を食べて、その命を奪っても

いのちは私を生かしている。

でも次の瞬間には、心臓がきゅっとなって、

いのちは私を生かさないかもしれない。


私の意志など、及ばない

人の意志など、及ばない


いのちを奪ったものが悪くて、もう生きていてはいけないなんて

そんなこと、ないのだった。


そう思ったとき

私が今いのちに生かされていることは、畏れ敬うことなのだと知った。


私の命を脅かしたあの人たちが、まだいのちに生かされていることにも

畏敬の念とともに、そのままに、と感じた。


そして、生かされている限り

心からの選択を

大切にしたいことを、選ぶことを


そんな風にこころを揺らしてくれた、物語たちでした。

八月も終わり、秋の気配がみえ始めたころ

大きな転換点を迎えました。


きっかけは、上橋菜穂子さんの物語たち。


どこかの国の、いつかの時代の、医療をまじえたお話

医学や医療に疎い私が、かろうじて知っている知識が

ふっと体感を伴った。


怪我をするでしょ

外からバイ菌が入るでしょ

すると、この体の中にいる兵士が、そのバイ菌と戦う


白血球とかリンパとかのことだっけ、と思いながら

私を不思議な気分にさせたのは、


たとえば私がどれだけ、目の前のことで

仕事をしていても

家事をしていても

食べていても

眠っていても

悩んでいても

怒っていても

もういやだと思っても

楽しくても

うれしくても

もっと生きたいと思っていたとしても


そんなこととは全く関係なく、バイ菌が入ったら、私の身体の中の兵士は活動して、私を生かそうとする。


そして、無事兵士がバイ菌に勝ったとき、私は生きる。

もしも、兵士がバイ菌に負けてしまったら、私は死ぬ。


”私”がどれだけ、意思とか意志のようなつもりでじたばたしていても

関係なかった。


私は初めて、生きているのではなく、生かされているのだと感じた。

”いのち”というようなものに。


私は、今生きている

それは、いのちが、まだ私を生かしているということだった。

友人に、風のような人がいる。


彼女は、中学・高校が同じで

大学は違ったけれど、卒業した後にまた出会い

以来、15年ほどの仲。


お互い、旅と海外が好きで

私は、海外旅行は、ひとりで行くか、彼女と行くかだった。


国内も気軽にどこへでも飛んでいくので

なんと、私が関西にいたときと、横浜に来てからとで

一年を通して、会う頻度が変わらない。


去年は、台湾で待ち合わせて3日ほどいっしょに過ごし

そのまま彼女は、タイへ飛んでしまった。

(私が日本に着いた翌日、ゾウに乗って最高の笑顔してる写真が送られてきた)


なんというか

離れているのに、心はっていうか、なぜか物理的にもぜんぜん離れている気がしない。


この秋また、別の友人がタイへ移り住む。

彼女も、国内にも海外にも飛び回っている人なので

またタイで会ったり、日本で会ったり、離れている気がしないんだろうなあと思う。


いつでもどこでも会える。

この世で彼女たちと連れ合ったことが、とてもうれしい。

昔から、なんとなく小沢健二さんの音楽が好きでした。


とくべつに追いかけたりはしていないので、ここのところの活動は知らなかったけれど

iTunesで遊んでいるうちに

偶然というかやっぱりというか、小沢健二さんの最近の音楽をみつけてしまった。


私が知っていたときより

大人の小沢健二さんと出会った。


結びつくような詩も

織り込まれる日常の風景も

永遠を感じそうになるところも


相変わらず、新しく、私は笑顔になる。


”流動体について”

https://www.youtube.com/watch?v=FlbpXqTOCns


”神秘的”

”アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)”

満島ひかりさんとうたう”ラブリー”


どれもうれしくて

私もいっしょにうたう。

少しだけ西に、お引越ししました。


見えるのは、田んぼと畑くらい

聞こえるのは、セミと鳥の声くらいの場所で

とってものびのびできて、気持ち良いです。


とはいえ

これまでのおうちも、とても素敵だった。


建物は敷地をだいぶ残して建てられており、敷地の余った部分は素敵なお庭。

お庭も建物も、元気なおじさんたちがいつもピカピカにしてくれていました。

部屋は公道と隔てられているから、守られているように静かだし

建物内の防音もばっちり。


移る理由がなかった。


比して

ぐうぜん出会ってしまい、私も崇志さんも、ひと目で気に入ってしまったおうちは

木造の、構造としてはいわゆるアパート。

山と畑に挟まれた敷地のど真ん中に、ばん、と立っている(むき出し)。

木造というものや管理会社について、インターネットでは散々な書き方がされている。

音も管理も、”頭”で考えるとダメダメでしょう。


だけど

散々迷いながらも、びびりながらも

お引越ししてしまった。


そうしたら

おうちはびっくりするぐらい静かだった。

周りは山だの田んぼだの畑だの、自然にあふれていて

人も、なんだか穏やかでした。


窓は外の木々の緑が映り、透明なグリーンで、夕方になると色が深くなり、海の底にいるみたいになる。


ちょっと自転車で走って、地産の野菜やお肉を買ったり、とても暮らしやすい。


うれしい!

楽しい!


ここ数年、仕事や住むところといった、生活のけっこうな基盤が変化し続けている。


なんとなく、身体がfeelingにしたがって選びたがっている

それを頭は散々止めようとしたり、混乱させてやめさせようとするけれど

勇気みたいなものが、恐いけどやる方を選択する

という風であるかな。


今までの脳のパターンや、情報、自分のものではない価値観にしたがって決めることをやめている、ともいえるかな。


私のようなびびりがfeelingを基準に選ぶとき、必要になるのは

勇気なのかもしれないと思った。

あるいは、意志といってもいいのかもしれない。


私は、これまでが安全だという錯覚に陥っているように思えた。


いざ勇気を絞り出して(圧搾)、feelingにしたがって行動してみると


同じことをするのが良いわけでも悪いわけでもなくて

変化することが良いわけでも悪いわけでもなくて

(ころころ変化し続けていれば、冗談みたいだけど、変化することをいとわないという脳のパターンができるのだろう)


ただ、

feelingに沿った働きがあった

feelingに沿わなかった働きがあった

それだけなんだと思った。


これまでのパターンにでもなく、情報にでもなく、誰かの価値観にでもなく

そのたび、今の自分のfeelingにしたがって選んでゆきたい。


そこには、よい結果は知らないけど

手応えがあるように感じる。

「私は、私自身の、公私ともにファンなんだもの。

別に写実的な美しさがなくたっていいの。


たとえばここにうつくしい泉があるとして

そこには何が映っていると思う?


誰もが神さまから与えられた

うつくしい身体だよ」


昨夜、夢に出てきた女性がそう話した。


たぶん、もともとは英語だったような・・・

「I am my own fan both public and private.

It's not necessary to have realistic beauty.

As there is a beautiful spring here, what is reflected there?

There is a beautiful body that everyone already has.」


映画のセリフみたいな

素敵な言葉でした。

子どものころに経験した痛みや、心も身体も壊れてしまいそうなことって

その出来事がONになったとしてもなお


そのような目に遭った自分が、そのような育ち方をした自分が

”そんな自分” が

OFFだったりする


醜い

忌まわしい

目を背けたい


”そんな自分” は、自分の影として現れる

その影は、過ごす日常でしばしば、目の端をひらりとよぎる


でも影は

他ならぬ自分に、見つけてもらいたがっている


気づいてほしい

見てほしい

問うてほしい

聞いてほしい

この想いを、理解してほしい


そして

”あなたを愛している”


その想いに気づくとき

その醜さは、何を守るためのものだったのか?


”愛している”


その想いに気づくとき

すべては解けて、ひとつになる