ババ先生

先日、ユカリさんとたくさんお話をしていたら、私の頭脳はとても体育会系だということに気づきました。


どうしてこんな風になったのだろうと、ここのところ、過去を振り返っていました。

すると、思い当たるのは、意外なことに、司法試験受験と、前職の法律事務所での来し方でした。


私は20代半ばに司法試験の旧試験を受けていました。

一日10時間から12時間、365日の勉強を4、5年したことになります。

残念ながら試験合格の実は結ばず、法律事務所に事務として勤め始めて11年間勤務し、昨年の秋、横浜に移るために退職しました。


その事務所のボスは、ババ先生といいます。

出会ったときで60歳前の、検察官を8年務めたのち弁護士になった先生でした。


検察官というのは、とてもとても体育会系だそうです。


司法試験に受かって修習生になっても、検察官は望めばなれるものではなく、上官からのスカウト制だそうです。

飲み会の席で、「アイツいいな。頭も切れるし胆力もあるぜ」ということでスカウトされるのでした。


特に、昭和初期ころの検察官は怪物ぞろいで、起案を上げると一目で出来の良し悪しがわかるらしく、悪しのときは、延々と作成した起案が一秒で床に投げ捨てられ、どこが悪いのかは一切教えてくれなかったそうです。


また、受験時代にも落とし込むのですが、刑事事件では「事実と評価の区別」という考え方が徹底されます。

論文試験では、事実と評価を厳格に区別し、事実を正確に抜き出し、評価は知識を吐き出す。両者では、やはり事実の抜き出しに重きがおかれていたように思います。

検察官ともなると、その徹底ぶりはすごいものがあります。


考えてみると、そんな風に育ってきたババ先生に育てられたということは、私もそんな風に育ったということでした。


入所したときから、「これ調停(にして)」といって資料をばさっと机の上に投げられるだけで、説明は一切ありません。

自分で本を読んだり情報を収集したりして、手探りでします。とにかく、やるのです。


仕事上伝えることは一つひとつ、曖昧さやごまかしは全て追及されます。

「それはAということなのか、Bということなのか、どういう趣旨でそれを言っているのか。それは事実なのか、自分の解釈なのか。」

いわば、私は毎日、検察官の尋問を受けていたのです。

それは私を泥船に乗せるためではなく、ただババ先生の頭がそうなっているからです。


私は、楽しかった。

とにかくやると決めたら情報はいくらでも取れるし、手探りでも、間違ったら修正すればできていくものだし、そんな風に自分の頭の中を整理すると、どんどんシンプルになり、物事がよく見とおせる。


入所して5年くらいすると、ババ先生の友人の検事正(地方検察庁の一番えらいさん)が検察官を退官し、客員弁護士として事務所に入ることになりました。

果たしてその先生からも、さらなる厳しい尋問を受ける日々となりました。


そんな風に働きながら、ババ先生からの信用を得たのは9年目かそこらだったと思います。それが遅いとは思えませんでした。

具体的事実をとらえ、筋道を立てて推認してゆき、それを誤差なく言葉にする作業については何年たっても甘さがあると思っていたし、ただしい疑いのもとやりとりすると、よりシンプルで正確なものができるからです。


それでも、信用を得たと感じてからは、「あんたはわしの右腕でも左腕でもあるんやから(両腕?)、ずっと一緒に仕事をしてもらわな困る」と言ってもらったりしました。


勤めを終えた最終日、お菓子を持ってババ先生の席に向かい、お世話になりましたと言うと、ババ先生は目を押さえながら「わしは・・・ショックでな。もう・・・もう・・・」と言って言葉をつまらせ、あっちへ行ってくれという手振りをし、それが挨拶となりました。


とてもとても温かい、人間味のある方だった。


私の頭脳が体育会系になったのも、うなずけるものがあるのでした。


ありがとう、ババ先生。

活かしますね~ !


↓ 画像は、ババ先生の大好物・ラミー

大福庵 daifukuan

横浜キネシオロジーセッション・講座

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